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3年と1日2014年03月12日 22:25

 昨日は東日本大震災から丸3年目の日でした。
 
 お亡くなりになった方々、津波に流されて行方不明の方々、仮設住宅で不自由な暮らしを強いられている方々、終息の見えない原発事故のせいで自分の土地に戻ることができない方々。 
 そんな皆さんを決して忘れたわけでは無いと言い表したくてキーボードの前に座りましたが、どう書いてみても胸のモヤモヤを表現できない、空々しい、嘘くさい。

 結局気持ちが空回りして昨日は何も書けず、今日、3年と1日目になってしまいました。

 震源地の近くで激しく長い揺れに会われた方々、生きた心地しなかったでしょう。

 津波にさらわれた方々。怖かったでしょう、冷たかったでしょう、苦しかったでしょう。

 いまだに仮設住宅から出る方法を見いだせない方々。株高や東京オリンピックで浮かれる私たちをどうみていますか?

 原発のお蔭で先祖の地をあきらめなければならない方々。悔しくて悔しくて仕方ないことでしょう。

 浅はかな頭ではたぶん被災された方々の苦しみや悲しみのほんの一部も分かっていないんだろうなと思うと、つらいです。

 3年前のあの日以来、震災も原発事故も他人事とは思えなくて、いつでもこの日常が1時間後には無くなっているかもしれないとか、家族一緒の食事はこれが最後になるかもそれないとか、ふと考える癖がつきました。

 被災地への支援の輪や、節電にたくさんの人々が共感の姿勢を示したことで、未曾有の災害をきっかけに、日本の国は経済中毒から変わっていけるのかなと期待しました。
 でも3年過ぎてみたらやっぱり経済の成長こそが幸せの尺度という考え方に振り戻してしまったみたいで、モヤモヤが溜まります。
 まず明日の米だろうと言われたら、言い返す言葉が見つからないのですが、食べ切れない米が豊かさをもたらすとは思えなくなりました。

 せめて原発被害者の気持ちを無視した強引な原発再稼働の動きだけでも、止まって欲しい、止めたい、3年目の3.11です。