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絵本紹介(22)2013年08月11日 15:55

にちよういち
題名   : にちよういち
文     : 西村 繁男
絵     : 西村 繁男
出版社  : 童心社

 この絵本は高知市の追手筋というお城まで通じる大きな通りで、毎日曜日に1.3Kmにわたって開かれる市(いち)の様子を描いています。

 

 6歳になる孫娘を連れたお婆ちゃんが、市で出会ったお店の人、知り合いたちと、土佐弁で会話を交わしながら買い物を進めていきます。

 

 ごくごく平凡な日常を描いていて、事件も物語も起こらないのですが、土佐弁の持つ暖かさと、市のお店やお客の様子を細かく描いたイラストが素朴で、自分でも市の中をひやかしながら歩いているような楽しさを覚えます。


 高知市の日曜市は野菜や魚などの生鮮品ばかりでなくて、金物、洋服、小動物、骨とう品、なんでもありです。
 おばあちゃんの孫娘は市で里親を探していた子猫を貰ってかえることにしました。

   実はこの絵本を紹介したくなったのは、最近、有川浩さんの小説「県庁おもてなし課」を読んで、無性に高知を訪ねてみたくなったのがきっかけです。「そう言えば、高知の日曜市の絵本がたしかあったなぁ」と。

   小説では日曜市の異国情緒、稀な規模、統一性の無さが魅力として紹介されていて、確かに以前高知に出張で行ったとき、日曜市で家族へのお土産選んで、とても楽しかったこと思い出しました。あの時は、ジャコ、てんぷら(いわゆるさつま揚げ)、ブンタンを買って帰ったっけ。美味かったなー。

 「県庁おもてなし課」は今年映画も公開されたので、DVDが出たら是非見てみたいと思ってますし、涼しくなったら高知県行っちゃおうと狙ってます。
Ushiさん素気なかったけど。。。

すごい雷雨でした。2013年08月12日 22:55

今日は仕事帰りに強烈な雷雨と鉢合わせをしてしまいました。

 電車の中ですでに稲光とパラパラと屋根をたたく雨音を聞いていたのですが、自宅最寄り駅に着いた時には土砂降り。しかも雨足はどんどん強まる一方。

 こんな時、近頃はスマホで、東京都下水道局が提供する東京アメッシュ(http://tokyo-ame.jwa.or.jp/)にアクセスして、付近の直近の降水量から雨雲の位置を確認するようになりました。

東京

 アメッシュは過去数時間の降水場所の移り変わりを動画で再現もできるので、雨雲がどの方角からやって来たのかを見て、この先どれくらいの速さで、どちらの方向に雨雲が抜けていくのか予測することができます。その予測から帰りを急いだ方が良いかとか、あとどれくらい雨宿りすればよいか参考にしてます。

  駅で雨宿りしながら、早速アメッシュ検索。
 すると今日はすごい土砂降りの地域が東京を東西に貫き、しかもずっと停滞。結局雨宿りは30分以上になりました。
  以前なら、強い雷雨がいつまで続くのか見当がつかず、10分くらい待って小やみにならなければ、雨の中強行突破で移動していましたが、今は手元で正確な情報がわかるので、とても重宝しています。

  うちは大丈夫でしたが、都内のかなり広い範囲で落雷による停電が起きたようで、もし被害を受けた方がいらしたら、お見舞い申し上げます。

  ところで、「あぷりこっとつりー」の看板犬「小さい方」は、雷が大大大嫌い。雷が鳴り始めると目は吊り上がり、耳の飾り毛は逆立ち、口を大きく開けてヨダレだらだら。恐怖にあえぎます。
  長引くとパニックになって家中を逃げ回り、食卓の上に登ったり、脱衣籠の中に入り込んだり意味不明の行動を起こすんです。  今日もUshiさんが帰り着くと玄関に飛んできて、そのまま足にしがみついてガタガタ震えて離れなかったそうです。 可愛いけれどまったく困ったビビリ犬です。

雷が怖くてパニック

  今晩は明け方近くにペルセウス座流星群の流れ星のピークを迎えるそうですが、見えるかな。頑張って夜更かししてみます。

絵本紹介(23)2013年08月13日 19:39

喜びの泉
題名   : 喜びの泉 ターシャ・テューダーと言葉の花束
絵     : ターシャ テューダー
訳     : 食野 雅子
出版社  : メディアファクトリー

 今回ご紹介する絵本は、その生き方に多くの女性が共感するターシャ・テューダーが、気に入ったり啓発された作家・詩人の言葉に、美しい水彩画を添えた本です。

 取り上げられた45編の詩や言葉は、どれもターシャの生きる哲学が込められていて、心に静かに落ちてきます。
 貫かれている精神は、きっと自然のリズムと光を愛し、人のあたたかい心を大切にして、夢のもつ力を信じて生きる、でしょうか。

   添えられたイラストは、どうしてこんなにやさしいタッチの絵が描けるのか教えて欲しくなるような癒しの絵ばかりです。モデルになっているのはターシャの愛犬やお孫さんたちとか。家族や周囲を優しい目で見守るターシャのまなざしと愛が感じ取れます。

 シンプルだけど感じ入った言葉を2,3ご紹介すると、

 
この世でもっともすばらしいことは、自分は自分のものだと知ることである

 【この世でもっともすばらしいことは、自分は自分のものだと知ることである】

なるほど。どうしても世間体とか、人間関係とか、しがらみで思ったようにできないことが多いですよね。でも自分の人生、自分のものなんですね、基本は。

わが身をさいてこそ、ほんとうの贈り物といえる。

【わが身をさいてこそ、ほんとうの贈り物といえる。】

うーん、耳が痛い。金額のことばかり気にした贈り物になっちゃってますね。原点を思いださなきゃ。

 
情熱なくして偉大なことが成し遂げられたことはない。

【情熱なくして偉大なことが成し遂げられたことはない。】

  まさしく。逆に情熱さえあれば、周りが何と言っても乗り越えられそうですよね。

巻頭に、【心に平安をもたらすことができるのは、自分しかいない。】という言葉が挙げられているのですが、 これもまた心に響いて素直に同意できる素敵な言葉です。

複雑な現代社会で疲れたら、ターシャの絵本をきっかけに、素朴な生き方を考えてみても良いかもしれません。

鉢植えのクワイ2013年08月14日 23:05

鉢植えのクワイ
 子供の頃、遊び場が池、沼、田んぼだったからでしょうか、水生植物を見ると、心が安らぎます。

 それでここ数年、睡蓮、サギ草、稲などを水を張った鉢に植えて、楽しんできました。
 昨年は、通販でクワイの苗を見つけて、試しに育ててみました。

 ご存じない方もいるかもしれませんが、クワイはよくおせち料理で、イモのような球根のような”実”を、鰹だしにみりんと醤油を合わせたつゆに浸して炊いたものが食べられる食材です。 食感は栗のようにホクホクして、味はユリ根のように甘くて、ちょっとだけ苦みがありますが、そこがクセになる美味です。

 私はクワイが大好物で、毎年暮れになると「クワイ買った?」と騒ぐので、Ushiさんからいい加減しつこいと都度怒られてしまいます。 それでもクワイのない正月など考えられないので、「大変お忙しいところ恐縮ですが、もうクワイの準備はお済ですか?」と、下手にあきらめることなく、決して買い忘れ事故が起きないようにしています。
 そんなクワイ好きおじさんなのに、クワイがどうやって生えているのか見たことがありませんでした。

 クワイの苗は若草色で、葉はサトイモの葉を細く小さくしたみたい。
 田んぼのように土を敷いて水を張った睡蓮鉢に植えて、育ててみました。
 根付くと根元から次々新しい葉が育ってきますが、茎の高さはせいぜい30cmどまりで、観賞用としては可愛くてちょうど良いサイズです。

 去年は10月くらいまで育てて、葉がみな枯れてしまった頃に土を掘り返して、”実”を収穫しました。

去年の収穫

 大きくて立派なクワイを期待したのですが、残念ながら苗3本から小指の先ほどの小さな”実”が、30個くらい取れただけでした。
 せっかくなので、素揚げにして、塩を軽く振って食べてみると、ちゃんとクワイの味で、結構うまかったです。

 去年収穫が少なかったので、今年はクワイ育てはあきらめていました。でも昨年使った土の中に収穫し忘れた”実”が残っていたようで、新しい芽が出てきました。
 そこで、今年もとりあえず鉢に水を張って、我が家生まれのクワイを育てています。

 暑い日差しの中ですが、鉢の水面を風が乱して、クワイの葉が揺れて、ほんのちょっとだけ涼しい景色です。
 本当はこの水辺に、カエルでも住み着いてくれたら最高なんですが、ベランダじゃ仕方ないですね。

平和を願う日2013年08月15日 21:20

 連日各地で35度を超える猛暑のこの夏。

 暑い暑いとつい騒いでしまいますが、気が付くと夜の鳴き声の主役は、蝉からコウロギに代わっていました。
 あんなに暑かったのになと、振り返る日も、もう遠くはなさそうです。

 今日、68回目の終戦記念日。
 思い切り平和ボケの自分に、平和でなかった時代を思い起こさせてくれる大切な日です。

 戦後生まれのため、戦争は両親、祖父母の体験談でしか知りません。だからたぶん戦争の本当の恐ろしさの1/10も分かっていないでしょう。それでも自分では抗うことのできない大きな力に幸せを踏みにじられたり、逆にたまたま所属する国が違うという理由だけで、見ず知らずの人の幸せを奪うことも、どちらもまっぴらなので、戦争をどう思うかと聞かれたら、大嫌いです。

 世の中には、武力が均衡しているから衝突が避けられる。だから平和のため軍事力は必要なんだという理屈が幅を利かせ始めています。
 自分の国は自分たちが血を流して守るのが、世界では当たり前だという理屈も。

 でも、本当だろうか。
 誰かが声高に言う、平和の為とか、国を守る為とか、その真偽を見抜けるだろうか。
 膨らんだ軍事力を誰かが勘違いして使ってしまうことは絶対ないだろうか。
 世界で稀有でも、血じゃなくて智で国も守る方法あるんじゃないだろうか。

 そんなことを考えていると、あれ、なんか原発の問答と似てる。

 中国戦線に駆り出されて、奇跡的に生還した義父は、よく兵隊の時の苦労話や死と紙一重だった戦闘の話はしてくれました。でも最期まで、命を奪った敵兵の話は一度もしてくれないまま、一昨年他界しました。
 「戦争はやっちゃいかん。」と小声でつぶやきながら、きっと誰にも話せないつらい記憶を抱えていたのだろうと思うと、気の毒でなりません。
 
 善良な一市民の命や人生を軽んじてまで守ろうとした正義って、いったい何だったのでしょうね。
 人を殺さなくて良い平和に感謝です。