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1981焼き鳥パーティー ― 2013年08月30日 22:19
昨日久しぶりに台所に立ちましたが、学生時代は自炊生活で、そういえばときどき同級生にも変な物食わせていたなぁと、懐かしく思い出しました。
大学では、動物学という浮世離れした学問の入り口にいまして、同級生と一つの部屋を与えられて、連日朝から晩までラットの組織標本を顕微鏡で覗いてはスケッチしていた時期があります。(組織標本というのは、いろいろな臓器や器官を1mmより薄くスライスして、ガラス板の上に張り付けて、染料で染めたものです。)
ラットの組織観察が終わりに近づいた頃、今度は課題として、各自ラット以外の動物を一種類解剖して、組織標本を作って観察したレポートを提出しろというのが出されました。
ラット以外の動物と言ったって、いきなりクマつかまえるわけには行かないし、さてどうしようと困っていると、農学部の友人からタイミングよく「ヒヨコいらない?」と聞かれました。雌雄選別の実習に使ったヒヨコの貰い手を探しているとか。
渡りに船で、解剖したいから1羽くれと頼んだら、できるだけたくさんさばきたかったヤツはとぼけて5羽も私たちの教室に餌と一緒に置いていきました。
とりあえず課題の為に1羽には犠牲になってもらいましたが、さて残り4羽どうしよう。同級生に聞いても、「いらない。」
子供の頃、何度か夜店でヒヨコを買ってもらって、でも大概一晩か二晩で死んでしまったので、どうせ長生きはしないだろうと、4羽そのまま教室で飼うことにしました。
ただ、私がいた大学はとても寒い街にあって、季節は真冬。
ついかわいそうに思って、下宿から自分が使っていた足温器を持ち込んで、暖房が切れた夜でも凍えないように温めてやりました。
それが功を奏したのか、ヒヨコは1羽も欠けることなく、すくすくと育ってしまいました。が、さすが浮世離れした動物学を志す集団だけあって、始めは教室でヒヨコを飼っていることに同級生始め周囲はおもしろがって、教室の管理者の教官もニヤニヤしながら黙認してくれました。始めは。。。
そのまま1週間経ち、2週間が過ぎ、あれっ、なんか羽根が白くなってきた。 あれっ、なんか頭に赤いの生えてきた。 で、どんどんオンドリらしくなって行きます。
時々小屋代わりにしていた段ボール箱から脱走して教室を駆け回り、女子学生の筆箱に糞をタレ、だんだん周囲からひんしゅくを買い始めました。
神聖な(?)講義の最中にも、ピーピーとかクォックォッとか鳴くようになって、教官からも何とかしろ視線、で、万事休す。
それで私が考え抜いて出した結論は、仕方ない、喰っちまおう!
もちろん、自分になついてくれているひな鳥の命を奪うのが楽しいはずはないのですが、でもヒトとニワトリの関係はそういうものと自分に言い聞かせて、4羽一気に絞めました。
続いて、昔親から聞いたニワトリのさばき方を思い出しながら、血を抜いて、羽根をむしって、肉にして。
ここまで加工すると教室から逃げていた女子学生も戻ってきたので、骨付き肉はポトフに、胸肉や皮や内臓は焼き鳥みたいにして、皆に振舞いました。(教室には泊り込めるように炊事場が備わっていたんです。)
噂と匂いにつられて、上級生や教官も集まってきて、いつの間にか大宴会へと発展。おかげで後々まで、教室でニワトリ飼って焼き鳥を振舞った変な学生がいたと、語り継がれる羽目になってしまいました。
まったく、みんなおいしいところだけはちゃんと持っていくんだから。
三十数年前の冷や汗ものの思い出です。
他にもいろいろ実験動物食べてみましたが、その話はまたいつか。
大学では、動物学という浮世離れした学問の入り口にいまして、同級生と一つの部屋を与えられて、連日朝から晩までラットの組織標本を顕微鏡で覗いてはスケッチしていた時期があります。(組織標本というのは、いろいろな臓器や器官を1mmより薄くスライスして、ガラス板の上に張り付けて、染料で染めたものです。)
ラットの組織観察が終わりに近づいた頃、今度は課題として、各自ラット以外の動物を一種類解剖して、組織標本を作って観察したレポートを提出しろというのが出されました。
ラット以外の動物と言ったって、いきなりクマつかまえるわけには行かないし、さてどうしようと困っていると、農学部の友人からタイミングよく「ヒヨコいらない?」と聞かれました。雌雄選別の実習に使ったヒヨコの貰い手を探しているとか。
渡りに船で、解剖したいから1羽くれと頼んだら、できるだけたくさんさばきたかったヤツはとぼけて5羽も私たちの教室に餌と一緒に置いていきました。
とりあえず課題の為に1羽には犠牲になってもらいましたが、さて残り4羽どうしよう。同級生に聞いても、「いらない。」
子供の頃、何度か夜店でヒヨコを買ってもらって、でも大概一晩か二晩で死んでしまったので、どうせ長生きはしないだろうと、4羽そのまま教室で飼うことにしました。
ただ、私がいた大学はとても寒い街にあって、季節は真冬。
ついかわいそうに思って、下宿から自分が使っていた足温器を持ち込んで、暖房が切れた夜でも凍えないように温めてやりました。
それが功を奏したのか、ヒヨコは1羽も欠けることなく、すくすくと育ってしまいました。が、さすが浮世離れした動物学を志す集団だけあって、始めは教室でヒヨコを飼っていることに同級生始め周囲はおもしろがって、教室の管理者の教官もニヤニヤしながら黙認してくれました。始めは。。。
そのまま1週間経ち、2週間が過ぎ、あれっ、なんか羽根が白くなってきた。 あれっ、なんか頭に赤いの生えてきた。 で、どんどんオンドリらしくなって行きます。
時々小屋代わりにしていた段ボール箱から脱走して教室を駆け回り、女子学生の筆箱に糞をタレ、だんだん周囲からひんしゅくを買い始めました。
神聖な(?)講義の最中にも、ピーピーとかクォックォッとか鳴くようになって、教官からも何とかしろ視線、で、万事休す。
それで私が考え抜いて出した結論は、仕方ない、喰っちまおう!
もちろん、自分になついてくれているひな鳥の命を奪うのが楽しいはずはないのですが、でもヒトとニワトリの関係はそういうものと自分に言い聞かせて、4羽一気に絞めました。
続いて、昔親から聞いたニワトリのさばき方を思い出しながら、血を抜いて、羽根をむしって、肉にして。
ここまで加工すると教室から逃げていた女子学生も戻ってきたので、骨付き肉はポトフに、胸肉や皮や内臓は焼き鳥みたいにして、皆に振舞いました。(教室には泊り込めるように炊事場が備わっていたんです。)
噂と匂いにつられて、上級生や教官も集まってきて、いつの間にか大宴会へと発展。おかげで後々まで、教室でニワトリ飼って焼き鳥を振舞った変な学生がいたと、語り継がれる羽目になってしまいました。
まったく、みんなおいしいところだけはちゃんと持っていくんだから。
三十数年前の冷や汗ものの思い出です。
他にもいろいろ実験動物食べてみましたが、その話はまたいつか。
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