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バンクーバーにやって来ました。2015年08月12日 14:43

羽田空港を11日(火)23:30頃発って、9時間ちょっとをかけてカナダの西海岸の大都市バンクーバーにやって来ました。只今11日の夜11時ちかくです。

バンクーバーと言ったら少し前に冬季オリンピックが開かれたのでご存知の方も多いと思いますが、私にとっては英語の先生イアンさんのふるさと、ボードゲームロイヤルモノポリーで一番高級な街で、前からずっと気になっていた場所です。

イアンさんから涼しいとは聞いていましたが、東京と比べてホントに涼しい。天気予報では昼間で22℃くらいらしく、日向に出ても熱く無い。モノポリーで高級住宅地になるだけのことはありますね。

空港から街の中心ダウンタウンまでは電車で20分くらい。そこからバラッド通りにあるホテルまで、スーツケースがらがら言わせながら10分くらい歩いて到着です。

ホテル、建物は古いしフロントは愛想が足りないですが、部屋が広めでキッチンが付いているのが魅力で、取り敢えず選んで正解だったと思います。

ホテルに着いたらもう夕方6時過ぎだったので、初日は取り敢えず近くのスーパーに食材買い出しに。今回の旅はUshiさんと都合が合った次女と3人ですが、3人とも変わった野菜や果物、豊富なパスタラインナップなどに興奮、ついついあれこれ買ってしまいました。

で、初日の夕食から自炊で、ソーセージやチーズを包んだラビオリのトマトソースと、欧風トンカツのシュニッツェルが食卓にならびました。どちらもそれなりにます美味くて、滞在中自炊ばかりになりそうです。

あすから本格的にバンクーバー観光です。

縄文の血が騒ぎました2015年06月02日 21:10

今日も勤めは非番だった私。
ちょうどUshiさんと長女も休みで、二人で潮干狩りに出かける相談をしていました。

私はアサリが大好き。日の丸も君が代も全然ピンときませんが、アサリの味噌汁を飲んだとき、心の底から日本に生まれた幸福を神様に感謝しています。

そんなですから、潮干狩りと聞いてなり振り構わずわしも族、二人にくっついて行くことにしました。

目的地は木更津。Ushiさんの下調べによると、木更津駅からほど近く、更衣室、シャワーが整った潮干狩り会場で、しかも今日は大潮で潮干狩り日和だそうです。数年前に自家用車を放棄した我が家には、公共交通機関で行ける漁場は最適です。

新宿から高速バスで1時間20分くらい。木更津駅から漁場に向かうと広い干潟が広がって、平日なのにそこそこの人が干潟に散らばって、一生懸命泥をほじくり返していました。

早速汚れても良い格好に着替えて、一人¥1,600の入漁料(2kgまでお持ちかえり付き)を払って、さあ戦闘開始。確か30年ぶりの潮干狩りです。

 一か所にとどまって行儀よく辺りを掘るUshiさんと長女を置き去りにして、私はできるだけ沖へ沖へ。大潮の日でなければ現れない(人の手があまりついていない)場所を求めて放浪です。
 しかし移動しては立ったり座ったりが、結構腰と膝につらくて、15分くらいで潮干狩りやめておけばよかったと後悔が始まりました。そこで途中から泥に膝をついた四つん這いで一か所を集中して探すスタイルに変鞍替えしました。

 アサリはちょっと掘ればたくさん出てきたのですが、大物にお目にかかれるのはたまーに。始めは大物狙いで他は全部逃がしていたのですが、いつまでたっても収穫が増えないので、途中からターゲットも変更して、酒蒸しは諦めて味噌汁サイズも含めて収穫していくことになりました。

 泥を這うことやく2時間。Ushiさんによると、私の四つん這いは鬼気迫り、そろそろ上がろうと2度ほど声をかけてくれたそうですが、まったく聞こえていませんでした。なんせ泥を掘りながら心はアサリが重要な食糧だった縄文時代にトリップしていたもので。夢想の中で私は狩りが下手なダメ縄文男。家族を飢えさせない為に、必死に貝を探し続けているのでした。
 12時半ごろ沖から潮がひたひたと戻ってきたのをシオに、ようやく我に返って潮干狩り終了となりました。
 結局獲物は3人合わせて5kg。 むむむむ。あと1kg行けたのか。

 夕食はもちろんボンゴレ。(味噌汁ではなかた。。。)
 一人真面目に勤めに出ていた次女に、「ちいさいやつはかわいそうだから逃がしてやったさぁ」と自慢したら、「どうせ次に誰かに取られるだけよ。時間の問題ね。」とバッサリやられました。

 縄文男のロマン、わかってもらえないなぁ。

ヘロヘロです。2015年05月26日 23:55

 今日は勤めは非番だったので、家族を仕事に送り出した後、思い立って奥多摩まで行ってきました。

 もちろん新緑の山を歩くのは楽しいことですが、今日の目的は吊り橋。
 異常なほどの高所恐怖症の私は、街中の普通の歩道橋でもダメ。誰も見ていなければ這って渡りたいくらい怖いんです。
 だから吊り橋なんて見た途端ギブアップで、どうしても必要でなければ迂回かユーターンしてやり過ごしてきました。
 でもある事情で夏までに吊り橋の恐怖を克服したいという前向きの野望が芽生えたもので、以前Ushiさんとハイキングして存在を覚えていた奥多摩の吊り橋を目指しました。

 我が家から奥多摩駅までだいたい2時間。そこから青梅街道を奥多摩湖に向かって15分くらいバスに乗って、境橋というバス停傍からむかしみちと呼ばれる旧道を歩き始めました。

 歩くこと20分。今日のお目当ての吊り橋、しだくら橋が現れました。
 金属製ワイヤーロープと金網でできた手すりと、それほど痛んでいない踏み板。これならいけるんじゃない?

 渡り口には一度に渡れる人数は3人までと注意書きがあって、そんなlこといわれると緊張します。幸い平日の午前中にはハイカーも見当たらず、一人でソロソロといだくら橋を渡り始めました。

 全長の1/4くらい進んだところで、周りの木が途絶えて、眼下30m位に激しく流れる渓流が見えてきました。
 1回目はここですでに足がガタガタ、心臓バクバクで断念。振り出しに戻る。
 何のためにここまで来たんだ!と自分に言い聞かせて2回目。さっきと同じ1/4でやっぱり怖い。片手でワイヤーの手すりを掴んで半歩ずつ前進。1/3地点までは何とか到達しました。
 でもやっぱり怖いので、もう一度振り出しへ。
 やるしかない!と3回目。2回目と同じ1/3まで到達して、しばらくここで慣れる戦法を取ってみることにしました。

 1時間にも感じられた時間ですが、たぶん2~3分。
 人の話し声が聞こえて来たと思ったら、橋の入り口に若いカップルが、おそろいのTシャツ来てこっちを見ています。

 仕方なく、今日のこの橋でのチャレンジは諦めて、橋の真ん中で景色を楽しんで来たかのように何気なくゆっくりと戻って、大人の余裕を見せて若いカップルに吊り橋をゆずりました。

 橋から遠ざかりながら振り向くと、カップルの男性は女性を怖がらせようと吊り橋の真ん中でピョンピョン跳ねて揺らしています。女性もやめなさいよ!とか言いながら、揺れる吊り橋にキャッキャ言ってる。

 なんで怖くないのだろう。。。神様は不公平だ。

 気を取り直して、しだくら橋より上流にある道所橋という吊り橋を目指しました。
 道所橋には先客が橋の上で記念撮影をしていたので、しばらく待って、やっと空いたと思ったら、後から来た団塊4人組のお父さんたちが先にどやどやと渡り始めてしまいました。しかも橋の真ん中で、「すみませーん。せっかくなんで4人一緒に写真撮ってもらえますかぁ。すこしカメラを持ち上げて下向けて、下の川も入れて。」とシャッターを押せと私を呼びます。

   気絶しそうになりながらなんとかお父さんからカメラを受け取りシャッターは押しましたが、ちゃんと写ったかどうかなんて知ったことではない。その後も空気の読めない4人組は橋の上でたっぷり時間を使って、ようやく向こう岸に消えてくれました。


 ようやく一人になって、いざ道所橋に挑戦。
 すると、さっきのしだくら橋はダメだったのに、こちらは一発で全長を行き来したり、真ん中で立ち止まって下を流れる渓流の写真を撮ることができました。ヤレバデキルジャナイカ!!
 二つの吊り橋の違いは、道所橋のほうがほんのちょっと幅が狭くて、ほんのちょっと手すりが高い。たったそれだけのことがどうしようもない怖さの分かれ道なんですねぇ。
 次はきっとしだくら橋も克服してやる!

 道所橋で予定以上に時間を使ってしまって、1時間に1本しかない駅まで帰るバスの時間に間に合わなくなりました。仕方なくそのままむかしみちを歩いて奥多摩湖のバス停を目指したのですが。。。
 前回は奥多摩湖から駅に向かって下ってきたので、あまり大したことのないコースの様に記憶していましたが、登るとなると結構勾配がきつくて、おまけに道のりが長くて、心臓バクバク、息は上がりっぱなし、足はカクカク、死にそうになりながら奥多摩湖までたどり着きました。

 今日は吊り橋特訓だけをして引き返すつもりだったのに、本格的なトレッキングになってしまって、ヘロヘロな状態です。山道を地図無しで歩くのはやめておきましょうね。

イタリア旅行最終地ローマ2015年04月15日 02:45

2日前の日曜日、午前中フィレンツェの朝市を覗いてから、列車でローマに移動にやってきました。

フィレンツェの朝市は3年前に古絵本が買えたので期待していたのですが、今回は残念ながら見あたりませんでした。代わりに店の飾りに使えそうな小物を見つけて、おじさんに値切り交渉してみたのですが、ガンとして負けてくれませんでした。そのくせ、「どこから来たの?」と聞くので「日本」と答えたら、「日本、いいところだ」。イタリア語で、多分「わしの従兄弟は柔道の師範で、空手の師範村上さんとも友達なんだよ」「何年か前、従兄弟と京都に行ったよ」と人懐っこい笑顔で話して、でっかくて分厚い掌で握手されました。そんなに日本贔屓なら、€1くらい負けてほしかったな〜。
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昼頃にフィレンツェを後にして、Frecciarossaと言う新幹線みたいな特急列車でローマへ。だいたい1時間半で到着です。途中の景色はずーっと牧歌的な風景で、大きな街や工場が見える日本の新幹線とはだいぶ雰囲気が違いました。

ローマに着いて、夏時間なので日はまだ十分に高かったので、早速歴史の教科書で見た巨大な円形闘技場 コロッセオへ。ローマの街は結構広くて、ベネツィアやフィレンツェの様に歩いて回ることが難しいので、地下鉄に乗ってみました。ローマの地下鉄はA線B線の2本だけ。切符は100分券、24時間券、3日券、1週間券しかないので、行き先を気にせず都合の良いキップを買えばよく、券売機は英語表示にできるので、パリのメトロよりわかりやすいです。
でもホームに降りてびっくり。壁は落書きだらけ、照明は薄暗く、狭いホームに人が溢れています。到着した電車も落書きだらけ。乗客も移民系の人が多くて、Ushiさんはあっという間にローマの地下鉄嫌いになってしまいました。
心配しすぎだよと馬鹿にしていたら、やられました。満員電車に乗り込む時に背後に滑り込んできた10歳位の坊主に、まんまと財布スられました。側で坊主の動きが不審と気づいていたUshiさんでしたが、まさか身なりのしっかりした可愛らしい男の子が、スリなんかと油断してしまって、隙をつかれてしまいました。日本円で1万円くらい入っていた札だけ抜き取って、財布を捨ててドアが閉まる直前にホームへと逃げられました。1万円は痛かったけど、カードが無事だったのが不幸中の幸いで、海外で始めて盗難に会って勉強になりました。やはり油断禁物です。

話がスリに逸れましたが、コロシアム、でかいです。甲子園球場よりでかいです。(当たり前か) 日本がまだ集落単位のまとまりだった2000年くらいも前に、こんな巨大な娯楽施設を作ったローマ人とは、いったい何者だったのだろうと圧倒されました。ローマ市民は生産を俗国や奴隷にやらせて、暇を持て余していたから巨大なコロシアムや公衆浴場を作ったわけで、究極の格差社会だったのですね。


コロシアムのすぐ隣にあるローマの行政や宗教の中心地で情報が集中したフォロ・ロマーノの遺跡を見て歩きましたが、ここも広い、でかい。なんでこんなにでかい建物を石で作らなければならなかったのか理解に苦しみますが、やはり重い素材ででかい建物を作るのは、富や権力の誇張だったのでしょうか。

ローマを訪れるなら事前にちゃんとローマ史を勉強したり、わかりやすく解説してくれるガイドをつけた方が良い様で、我々の様にただ物見遊山だと、始めはすげ〜と圧倒されますが、だんだん食傷になって、広い遺跡を歩き回る疲労感が増しました。

ローマ2日目はバチカンへ。ところが午前中のサン・ピエトロ寺院の見学は、30万人が収容できると言う広場の周りぐるり1周でも足りないほどのセキュリティ待ち行列ができていて、圧倒されて出直すことになります。午後、事前予約してあったバチカン美術館を見学してから、夕方に再挑戦。それでも中に入るまで30分くらいかかりましたが、午前中よりはずっとずっとましでした。

サン・ピエトロ寺院の中は、さすがカソリックの総本山。装飾が美しく天井が高くて、天使が降りて来そうでした。
バチカン美術館財力にものを言わせて?ギリシャ・ローマの数々の彫刻やタペストリーがこれでもかと展示されていましたが、やはり教養の無い悲しさ、特に感動もせず、はーとか、ほーとか言いながら歩き回りました。最後の方に近代美術と分類された一画があって、多くの人が素通りして行ったのですが、よく見るとゴッホ、ゴーギャン、シャガール、デキリコ、などなどルーブルなら皆噛り付く様な絵が無造作に展示されていて、この一画だけは面白かったです。んーバチカンお金持ち。
最終日に空港まで送ってくれたローマ在住の方によると、イタリア?では所得税と別に収入の0.8%を寄付することが義務付けられていて、寄付先の8割はキリスト教関係団体出そうで、観光と寄付がバチカンを支えているのでしょうかね。

コロシアムとバチカン以外のローマは、正直な感想としてあまり見所がなく、トレビの泉は工事中だし、スペイン広場は期待外れなのに凄い人出だし、街は汚くて車は怖くて案内表示もなくて、2度目遠慮したいです。食べ物だけは、期待を外さずまあまあ美味かったですが。


現在、ローマから乗り継ぎ地ミュンヘンでこのブログ書いています。あと2時間くらいで羽田に向けて出発です。あっという間の8日間でしたが、ずっと天気に恵まれて無事に旅ができてほっとしました。次の土曜日、日曜日は店をいつも通り開きますので、皆様よろしくお願いいたします。

フィレンツェ2日2015年04月12日 06:25

フィレンツェ2日目。今日もよく晴れてくれました。
既に夏時間のイタリア、朝のうちは空気がひんやりして、シャツの上から上着が必要です。

今日はまずフィレンツェを支配した大富豪メジチ家の礼拝堂の見学から。床も壁も白、赤、緑、青と綺麗な大理石の組み合わせですっごく美しい建物です。今まで大聖堂を幾つか見学して来ましたが、こんな美しい礼拝堂見たことありません。メジチ家の栄華がしのばれました。


続いて、フィレンツェと言えばドゥオーモ。巨大なサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂へ。内部を見学したくて行列に並んだら、そこは恐ろしいことにドゥオーモのドウム型屋根、キューポラの上に登るための行列。だいぶ待ってから気づいたので、そのまま頑張って登ってきました。しかしそれが大後悔に。登りはしんどいは、途中真下にドゥオーモの礼拝堂が見える細い通路を通らなければならないは、見晴らし台は狭くて混雑して、高いところが超苦手な私にとっては恐ろしい拷問になりました。眺めは超絶良かったのですが。。。二度と、再び、間違っても、絶対に、登らない!


キューポラ地獄から生還した途端に空腹を思い出したので、市民の台所中央市場へ。2階はフードコートになっていて、ピザ、パスタ、イタリア式サンドイッチのパニーニ、チーズ、シーフード、肉料理と、いろいろ選べます。12時前だったのでほとんどの店が準備中。かろうじてやっていたモツァレラチーズ専門店で、チーズとトマト、オリーブをパンに乗っけた簡単なプレート€4を試してみました。この店のモッツァレラは日本で出回っているものより、食感がややハード。でもトマトと生オリーブとオリーブオイルととてもマッチして美味しかったぁ。
12時に他のお店が空いたので、魚屋さんで地中海魚のスープ€12というのを頼んでみました。5分くらい待って出てきたのは、エビ、シャコ、イカ、アサリ、ムール貝、白身魚2種が、トマトと煮込まれた豪勢なブイヤベース的スープでした。お味は魚介の出汁がよく出て、美味でした。


午後になると日差しが強くなって、シャツ一枚でちょうど良い気温になりました。 フィレンツェは洋服と革製品と高級ブランド品ばかりで、あぷりこっとつりーに似合いそうな小物が少ないのですが、午後は頑張って街を歩いて、ちょっとかわいい革製チャームを幾つか仕入れてみました。

そして締めは、イタリア最大と言われるウッフィツィ 美術館へ。有名なビーナス誕生他、ルネサンスのフレスコ画や彫刻をたーっぷり堪能してきました。(本当はキリストの誕生や受難の場面を描いた絵ばかりなので、見分けがつかなくて、げんなりしながら広い館内ぐったりしながらなんとか回ったという感じです。)


ところで、ヨーロッパでは公衆トイレはだいだいお金を取られるのですが、カフェや市場のトイレは無料で使えることが多いです。ところが無料のトイレでは便器から便座が外されていることがよくあります。多分汚れることや上げ下げで壊れることを嫌ってだと思います。変なはなしですが、便座が無いつまり座るとお尻が便器にはまってしまうような場所で地元の女性はどうしているのか?現地に詳しい人に聞いたところ、やり方は二通り。空気椅子のように便器寸止めで用をたす人、便器の縁に片足だけ乗せて用をたす人。日本ではあり得ないですが、ヨーロッパではフランス、ベルギー、ドイツ、チェコ、そしてイタリアで経験していますので、ヨーロッパ旅行で遭遇しても慌てないでくださいね。