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絵本紹介(38) 八郎 ― 2013年10月10日 23:52
題名 : 八郎
文 : 斎藤隆介
絵 : 滝平二郎
出版社 : 福音館書店
1967年初版の古い絵本なのでご存じの方が多いと思いますが、今日は滝平二郎さんの切り絵の力強さがすばらしい絵本「八郎」のご紹介です。
子供のころとても好きだった絵本で、ずっと秋田の民話だと思っていました。今回調べてみたところ、民話をモチーフにしていますが、作者の斎藤隆介さんオリジナルの物語でした。
むかしな、あきたのくにに、八郎って山男がすんでいたっけもの。 物語はとても味わいのある秋田弁で語られます。
八郎はかしの木くらい背が高い山男でしたが、いつも「もっと大きくなりたい。もっと大きくなりたい。」と願っていて、山から浜まで駆け下りて海に向かって「うおーい、うおーい」と叫んでいました。
叫ぶたびに八郎の胸は大きくなって、しまいに家一軒すっぽりと入るくらい大きくなりました。
胸が大きくなるにつれて頭も大きくなって、髪の毛の中にたくさんの小鳥が巣を作ったほどです。
Br> ある日八郎が浜に来てみると、一人の小さな男の子が海を見てわんわん泣いていました。八郎は男の子を手のひらに乗せてなぜ泣いている訳を尋ねると、毎年この時期の海は荒れ狂って浜近くの田んぼを飲み込んでしまうので、両親と村の大人は総出で堤防を作っていて、男の子のことをちっとも構ってくれないというのです。
そこで八郎は荒れ狂う波から田んぼを守るため、山まで走って行って、小山を一つ背中に担いで浜に戻ってきました。
浜まで来ると、八郎は背中の山を海の中に放り込みます。
ところが山を投げ込まれた海はおおいに怒って、大きな波を沖に集めて今にも襲ってきそうです。
それを見た八郎は今度は自分が海に入って、大きな胸や肩や腕で波を押し返そうと戦います。
br>
その時、八郎は気づきました。
自分はなぜあんなにも大きくなりたかったのか。。。
こうしてみんなの役に立つためだったのです。
八郎に海に投げ込まれて頭だけを出した山は「寒風山」と呼ばれるようになり、八郎が海の中で踏ん張っているので、八郎潟はとても穏やかな湖です。
秋田に伝わる八郎太郎の民話を元に、男鹿半島と八郎潟の成り立ちを語ったスケールの大きな物語。
でも琵琶湖に次いで日本で二番目に大きい湖だった八郎潟は、残念なことに高度成長期に米の耕作地を広げる目的で干拓されて、その姿を大きく変えてしまいました。
今となっては、残しておいてほしかったなー。
文 : 斎藤隆介
絵 : 滝平二郎
出版社 : 福音館書店
1967年初版の古い絵本なのでご存じの方が多いと思いますが、今日は滝平二郎さんの切り絵の力強さがすばらしい絵本「八郎」のご紹介です。
子供のころとても好きだった絵本で、ずっと秋田の民話だと思っていました。今回調べてみたところ、民話をモチーフにしていますが、作者の斎藤隆介さんオリジナルの物語でした。
むかしな、あきたのくにに、八郎って山男がすんでいたっけもの。 物語はとても味わいのある秋田弁で語られます。
八郎はかしの木くらい背が高い山男でしたが、いつも「もっと大きくなりたい。もっと大きくなりたい。」と願っていて、山から浜まで駆け下りて海に向かって「うおーい、うおーい」と叫んでいました。
叫ぶたびに八郎の胸は大きくなって、しまいに家一軒すっぽりと入るくらい大きくなりました。
胸が大きくなるにつれて頭も大きくなって、髪の毛の中にたくさんの小鳥が巣を作ったほどです。
Br> ある日八郎が浜に来てみると、一人の小さな男の子が海を見てわんわん泣いていました。八郎は男の子を手のひらに乗せてなぜ泣いている訳を尋ねると、毎年この時期の海は荒れ狂って浜近くの田んぼを飲み込んでしまうので、両親と村の大人は総出で堤防を作っていて、男の子のことをちっとも構ってくれないというのです。
そこで八郎は荒れ狂う波から田んぼを守るため、山まで走って行って、小山を一つ背中に担いで浜に戻ってきました。
浜まで来ると、八郎は背中の山を海の中に放り込みます。
ところが山を投げ込まれた海はおおいに怒って、大きな波を沖に集めて今にも襲ってきそうです。
それを見た八郎は今度は自分が海に入って、大きな胸や肩や腕で波を押し返そうと戦います。
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その時、八郎は気づきました。
自分はなぜあんなにも大きくなりたかったのか。。。
こうしてみんなの役に立つためだったのです。
八郎に海に投げ込まれて頭だけを出した山は「寒風山」と呼ばれるようになり、八郎が海の中で踏ん張っているので、八郎潟はとても穏やかな湖です。
秋田に伝わる八郎太郎の民話を元に、男鹿半島と八郎潟の成り立ちを語ったスケールの大きな物語。
でも琵琶湖に次いで日本で二番目に大きい湖だった八郎潟は、残念なことに高度成長期に米の耕作地を広げる目的で干拓されて、その姿を大きく変えてしまいました。
今となっては、残しておいてほしかったなー。
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