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国立競技場2013年09月22日 23:58

 そろそろ今日の絵本屋の営業終了が近づいた夕方5時半。突然辺りが騒々しくなってきました。

 注意して聞いてみると、どうやら千駄ヶ谷の国立競技場から大歓声、しかも女性ばかりの歓声が聞こえてくるではないですか。
 国立、女性、神宮前まで届く大歓声のキーワードから想像したことをネットで検索してみると、ビンゴ。

 今日は国立で嵐フェスだそうです。

 いいですよねー、嵐。エンターテイメントとしてオジサンでも引き込まれる勢いとエレガンスとさわやかさがありますねー。クー、覗いてみてぇー。

 そう言えば国立競技場、建て替え?回収?でしばらく使えなくなるんですよね。もうボロボロだったから、お役目ご苦労様でしたってところでしょうか。

 しかし国立競技場にはいろいろな思い出があるので、あの姿が見られなくなるのかと思うと、ちょっと寂しい気持ちです。
 小学生の頃、明治公園には草野球で毎日通ったし、渋谷区の合同陸上記録会は生意気にも国立競技場のトラックとフィールドを使わせてもらえました。
 
 私が通っていた原宿中学校(もう廃校になりましたが)は運動場がめちゃくちゃ狭くて、対角線でも80Mがやっと。運動会の花形競技は真剣勝負の競歩。(これが結構熱くなるんですよ、実は。)
 そんな学校なので陸上部があるはずがなく、陸上記録会が近づくと他の運動部員からにわか仕立ての陸上部員が選抜されて、他校の陸上専門の選手と記録を競うわけです。結果は当たり前ですが、ダントツの惨敗。 競技の招集のとき、他校選手から憐れみや蔑みの視線を浴びて、嫌でしょうがない大会でした。

 でも中学3年最後の大会は、神様がたった1回だけの忘れられない思い出をくれました。

 記録会が開かれた中3の秋と言えば、みんな受験にエンジンかけて運動どころではないのが常識。でも私はまだ部活に逃げていたので、その年の記録会最後の競技、200m×4=800mリレーのメンバーになってしまいました。しかもじゃんけんで負けてアンカー。
 予選では当たり前に、5組中びりの5位。当時渋谷区の中学校は9校で、決勝に進むのは8校。あー終わったねぇという雰囲気でまったりしていたら、1校バトン受け渡しミスで失格。タナボタで決勝進出してしまいました。
 
 原宿中が決勝に出るというだけで、応援してくれている全校生徒が盛り上がり(と、いうかそれをネタの”援団ごっこ”だったと思うのですが)、予期せずいろんな励ましを貰っちゃいました。田口トモロヲ的に言うと、「その瞬間、スタンドとぉ トラックがぁ 一つにぃ  なったぁぁ。」

 で、リレーのメンバーにはそういう状況で妙に燃えちゃう人、そうあの色男M-さん(以前の東中野と猫肉マックで登場)がいたんです。

 決勝のピストルが鳴って、1番手はやはり8位で2番手のM-さんにバトンを渡す。でもここで1校もたついてM-さん7位に。そこからM-さん「うぉー根性ー」とか叫びながら2人抜いちゃって5位に上がったではないですか。ほんとバカなやつです。

 「え、うそでしょ。」と私急に心臓バクバク、膝ががくがく。アンカーとして抜かれてビリになるわけいかないじゃないですか。52年の人生で先にも後にも、あれほど必死に前の走者を追いかけた時間はありません。終わってみたら予選落ちが指定席の原宿中が、M-さんがつくった5位をキープして逃げ切ったんです。

 しばらく膝が震えたままフィールドにへたり込んで、意味もなく「チキショー、チキショー」とつぶきました。ただの5位なのに、部活の試合で勝った時よりも強烈な感動を味わいました。

 
 そんなこと思い出してたら、確かに”軽井沢のオジサン”が言うように、わたしも東京オリンピックの恩恵たっぷり受けてたんだなーと気づかされました。
 オリンピックで使われた一流の施設で、子供たちが夢や感動を味わえるなら、それは素晴らしいことですよね。
 国立競技場、ありがとう。これからもよろしくね。