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裏原食べログ(3) 怖い伊武雅刀2013年07月01日 22:27

 ここのところ家事に仕事に店にと、八面六臂の大活躍のUshiさん。

 昨日はさすがにお疲れで、ちょうど子供も店で合流したので、このまま原宿で夕飯済ませて帰ろう!ということになりました。

 お酒が全く飲めない私が一緒なので、食事は即ち空腹を満たす手段。昔よく行った竹下通り出口近くの「龍の子」のラーメンを目指してみましたが、あいにく日曜定休日。あーぁ、大好きな春巻き食べそこなった。

 当てにしていたお店に振られて、原宿通りを千駄ヶ谷方面にふらふら歩いて行くと、昔杉野写真館があった角につながる路地に赤ちょうちんがポツリ。 「中国家庭料理 東坡(トンポー)」という看板も出ています。

 店構えが普通の中華屋さんとちょっと違うけど、元々中華を食べに行くつもりだったので、深く考えずに暖簾をくぐりました。(ん。そういえば中華屋さんに暖簾?)

 あれ?なんか変。
 縄のれんみたいなカウンターオンリーの細長い店舗に、スキンヘッドでギョロ目の、伊武雅刀をいかつくしたような親父さんが一人。 奥には常連客っぽい飲み客二人。

 親父さんから渡されたメニューを開いて、定食とか丼ものとか麺とかを探しましたが、いくら見ても、ひっくり返しても一品の皿料理ばかりで、しかもどれも\2,000から上の値段がついています。
 隣に座ったUshiさんも一瞬息を飲んで、メニューを散々開いて閉じて裏返してかじって。

 明らかにお店のミスチョイス。背中を冷や汗がタラー。

 よっぽど「やっぱやめます」と店を出たかったのですが、他に行くあてないし、おなかは空いたし、親父さん怖そうだし。
 結局予算オーバーは覚悟して、3人で料理を一皿ずつ頼んで、あとはライスを貰うことにしました。

 最初に登場の料理は「冷製ナスのサラダ」。
 さっと茹でて冷やしたナスと、細かく刻んでゴマ油で炒めたネギに、秘密のうまみが混じったソースをからめた単純な料理だったのですが、これが初めての味で、うまい!
 オイリーなのにさっぱりしていて、ちょっと濃いめの塩味もあって、私はすでにこのおかずだけで丼ごはんの半分を消費。

 続いて出てきたのは「ゲソニラ炒め」。
 文字通りイカのゲソとニラの炒め物ですが、親父さんが調理する手元を見ていたら、ゲソの先の方とかいらない部分を惜しげもなく切り捨ててて、老酒を振りかけながら強火で炒めていました。
 そのためか、食べてみるとイカを使った炒め物にありがち強烈なイカ味が抑えられて、ニラのうまみとイカのうまみと両方が助け合って、やっぱり、うまい!この皿もごはんがいけるいける。

 最後は「ジャガイモとセロリの炒め物」。
 千切りのセロリとジャガイモを、シャキシャキ感がなくならない程度に、軽くしょうゆ味でさっと炒めてありました。
 これもさっぱりしていける! 
 すでにご飯を食べつくしてしまっていた私は、思わずごはんおかわり。

 結局よその中華屋さんで食べたことの無い、家庭的な料理を楽しむことができました。
 あとでネットで調べたら、麻婆豆腐が辛いことで有名なお店らしいのですが、麻婆豆腐以外の料理もいけそうですよ。

 それに、「ゲソニラ炒め」と「ジャガイモセロリ」は、飲み客の分と一緒に調理して、飲み客の皿よりも私たちの皿に少し多めに盛り付けてくれた親父さん。顔は怖いけど案外いい人なんですねぇ。

 でも、値段はちょっと取りすぎでしょう。 3人で¥6,800は痛かった。

絵本紹介(9)2013年07月02日 21:38

  題名  : こんとあき
  文   : 林 明子
  絵   : 林 明子
  出版社: 福音館

 今回ご紹介する絵本は小さい頃に読まれた方も多いかと思います。ですから今更ご紹介もありませんが、遅ればせながら林明子さんのとても可愛らしい絵と物語に癒された、私なりの紹介、聞いて下さい。

 キツネのぬいぐるみのこんは、砂丘町のおばあちゃんに赤ちゃんのお世話を頼まれて、子供部屋に赤ちゃんがやって来るのを首を長くして待ちます。
 そしてやがて小さな赤ちゃんのあきがこんの待つ部屋にやってきました。

 「あかちゃんて、なんて小さくてかわいいんだろう。」

 こんはあきのことをとてもいとおしく感じて、あきはいつもこんに見守られながら大きくなって行きます。
 
 こんはあきと遊ぶのが大好きでしたが、だんだん古くなって、ある日腕にほころびができてしまいました。
 そこで、こんはおばあちゃんに修理してもらうために砂丘町に向かうことにしますが、あきも一緒に砂丘町に行くといいます。

 こんとあき、途中不安や危険を乗り越えて、砂丘町のおばあちゃんの家を目指しました。旅の始めではこんに頼ってばかりのあきでしたが、砂丘町ではこんを助けておばあちゃんの家までたどり着きます。


 初めてこの絵本に出会った時の印象は、正直なところ子供っぽい。
 いかにも幼い子供が好きそうな明るい色使いと柔らかいタッチの絵が、This is 絵本という感じで、敬遠気味に表紙を開きました。

 でも物語を読み進むうちに、この絵本が子供のあきの目線と、あきを見守るこんの目線と、どちらからも楽しめる物語なんだと感心しました。
 そして私はこんの目線で、子供たちが幼かった日の思い出を重ねながら、しまいにはこんに感情移入して物語に入り込んでしまいました。

 最初はこどもっぽく映った絵でしたが、細部まで注意してみると、こんとあきの表情が豊かで可愛らしくて、最終的には気持ちが暖かくなりました。

 Ushiさんに聞いたら、我が家の子たちも大好きな絵本だったとか。そんなことちーっとも知らず子育てをUshiさんに押し付けて勤めに埋没していた若かりし日、今頃後悔と反省です。

絵本紹介(10)2013年07月03日 18:36

 題名  : The Giving Tree
文   : Shel SilverStein
絵   : Shel SilverStein
 出版社: Harper Collins Publishers

 村上春樹さんの翻訳で「大きな木」として日本でも名作に数えられているこの絵本。理由は後ほど申し上げますが、今回原作英語版のご紹介です。

 昔あるところに一本の木がありました。
 木はひとりの小さな少年を愛していました。

 少年は毎日のように木のところにやってきて、葉っぱで冠をつくったり、幹をよじ登ったり、枝でブランコしたり、実を食べたりして遊んだり、疲れたら木陰で昼寝をしました。

 少年も木をとても愛してくれたので、木は幸せでした。

 でも時が過ぎて、少年が青年になると、めったに木に会いに来なくなりました。
 久しぶりに来ても、青年はもう木に登って遊んだりしません。
 その代わりにこう言いました。「遊ぶお金が欲しいんだ。お金をくれないかい?」
 
 木は青年にあげるお金がないことをあやまって、自分の実をとって町で売ればお金になると提案します。
 青年は木から実を根こそぎ採っていったまま、また姿を現さなくなります。

 ストーリーをあまり明かしてしまうと、まだ読んだことの無い方には興ざめですので、その後を簡単にお話しすると、

 少年は中年になり、壮年になり、老人になってそれぞれ木のもとにふらりとやってきます。そしてその都度木は自分を犠牲にして、愛した少年の望みに応えてあげます。そうすることで木は幸せでした。


 邦題は「大きな木」ですが、原題はThe Giving Tree、直訳すると「与える木」です。また原文ではこの木のことをShe(彼女)という代名詞で指しています。

 もしかしたらTreeという名詞を指す代名詞は慣例的にShe、という英語の決まりがあるのかもしれませんが、私は英語の原文を読んで、彼女と呼ばれる木に母親を重ねました。

 なぜなら、私の母はまさしくこの木の姿そのままでしたので。

 いつでも息子である私の為に、自分の食べること、着ることを後回しにして、すべてを惜しみなく与えてくれた母。
 そんな彼女から、私は物語の少年と同じように、いやもっと容赦なく、むしり取って育ちました。

 でも数年前、彼女は突然子供に戻り始めました。
 その病気は本当は悲しい病気のはずですが、私には、母と向き合う時間を与えてくれた恵みのような気がしています。 
 そしてもしかしたら、これが母が私に与えてくれた最後の贈り物なのかもしれません。


 本の紹介からずれてしまいましたが、この絵本は20代なら20代の、40代なら40代の、少しずつ違ったとらえ方、感じ方ができる広がりのある本だと思います。
 ですので、できれば手元において忘れた頃にまた読み返してみてもらうと、きっと自分の成長や成熟が実感できるのではないかと思います。

 英語ですが、短くて、中学校で習った単語や文法ばかりですし、日本語訳の絵本もありますので、ひとつ翻訳に挑戦して、ご自分の翻訳と村上春樹さんの翻訳と比較してみるのも面白いかもしれません。

 あっ、別に2冊買わせようとする作戦じゃないですよ。

看板犬と2013年07月04日 21:02

 今日は明るいうちに帰宅できたので、運動不足ぎみの看板犬たちを大好きなフリスビーに誘ってみました。  と、言っても自宅のバルコニーなので、走れてせいぜい5m。飛びすぎないように布製のフリスビーをそっと投げます。
看板犬「大」のキャッチ
看板犬「小」のキャッチ
 でも看板犬の「大」も「小」も大喜びでフリスビーの後を追いかけて、ダイビングキャッチ。ここまでは同じ。
看板犬「大」、投げてと持ってくる
 
看板犬「小」、どんなもんだい!
 「大」はフリスビーを咥えてやってきて、すぐに離して、また投げてとねだります。つまり正当なフリスビーでの遊び方。  一方「小」は咥えたまま振り回して、取ってみろと逃げ回ります。つまり間違った解釈。  それぞれに遊び方は違うけど、うれしくてたまらない時間なのは同じです。この遊びのあとは、どちらもいい顔してます。  そして私にとっても、無邪気な犬たちの笑い顔を見ていると、ほっとして、嫌なことが忘れられる、リラックスタイムです。  
二匹ともたっぷり運動。お休み。
今日はたっぷり遊べたので、二匹ともさっさと寝床に入っていきました。 おやすみなさい。

今どきの胃カメラ2013年07月05日 23:35

 5月に受けた健康診断の胃レントゲン検査結果で、再検査に引っかかってしまいました。

 胃の下の方で、臓器が曲がっている天井部(解剖用語では胃角と言うようです)が、バリウム造影のレントゲン写真で普通はとてもなめらかなところ、がさがさに見えたらしいのです。

 それで心配した医師に、多分なんでもないけど、一応胃カメラで中を覗いてみましょうと押し切られてしまいました。

 最初からレントゲン撮影ではなくて胃カメラ検査という選択肢もあったのですが、20年くらい前に受けた時、麻酔で舌も喉も麻痺して、すごく不快だったことを思い出して、それよりはバリウムを選びました。

 当時の胃カメラ検査は、口からカメラを入れる方法で、ドロっとして苦い麻酔薬を口の中に貯めて、「飲み込むな、垂らすな、30分間出すな」との指示。看護師さんがさっさとどこかに消えてしまってから、唾液はたまるは、唇が麻痺して垂れそうになるは、味は苦いはで、検査前からとても頼りなかったことが悪い印象として残っています。
 
 やっと麻酔が効いてカメラを口から入れたら、すごく太い棒でまるで口から尻に向けて串刺しにされたような感覚で、子供の頃トノサマガエルを串刺しにした報いかと、心の中で十字を切りながらネンブツを唱えたものです。
 その串刺し状態で、胃の中をぐりぐりやられて、医師に見下されながらカメラの画像をリアルタイムで解説された時は、屈辱的な気分ですらありました。

 そんなネガティブな思い出の胃カメラ検査でしたが、
 あれから20年以上時が過ぎて、技術はだいぶ進歩していました。

 今日受けた胃カメラは鼻から入れるタイプ。
 胃の消泡財を飲んで、鼻の奥の血管を収縮させる薬をスプレーして、鼻に麻酔を入れて、全部で10分ちょっとで胃カメラが鼻に入りました。
 
 鼻にカメラが入ると、痛いんじゃないかを警戒していましたが、カメラは全く痛みを感じさせずにするりと通過、食道のところでちょっとだけ圧迫感がありましたが、それもまさしく喉元すぎればで、そのうち気にならなくなりました。
 カメラが胃の中を動き回る間、ちょっと違和感はありましたが、程度は軽くて、あっという間に検査終了になりました。

 検査の結果も、その場で全く問題無しとお墨付きを貰えて、来年は最初から胃カメラ検査にしてもらおうと強く決意しました。

 医療の進歩は、ありがたい時もありますね。