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田端ショック2013年06月27日 20:56

 いつもこのブログに楽しいコメントで参戦してくれているバゲ氏。

 バゲ氏とはかつて住まいが間に印刷会社を挟んで隣どうし。学校も同じクラスで、よく遊んでもらいました。
 とてもすばしっこくてクラスの人気者だった彼が、どちらかというと根暗だった私をよく相手にしてくれていたなーと不思議ですが、分け隔てのない、とてもピュアで人物なので、楽しい思い出がたくさんあります。

 そんな中でも、忘れられない一つが「本気で行っちゃいました田端事件」。
 
 それは1971年、日本がニクソンショック前でまだイケイケだった頃。学校を終えると日課のようにバゲ氏と東郷神社の池でザリガニ取りに興じた時期がありました。なぜあんなにザリガニを取りたかったのか、取ってどうするつもりだったのか、今ではさっぱりわかりませんが、とにかくおバカな男の子たちでした。

 ある日ザリガニ取りに夢中の私たちのバケツの中身を、一人のおっちゃんが覗き込んで、
 「ほう、ザリガニか。」「そういやー最近どこかでザリガニがうじゃうじゃいるのみたなー。」

 「え、どこですか?」

 「ちょっとまてー。思い出すから。」「そうだ、田端だ。田端の電車の車庫だ。」「車庫の脇にある溝のなかに、いくらでもいたぞー。」

 この夢のような情報にバゲ氏と私は躍り上がり、バケツいっぱいに巨大なマッカチン(アメリカザリガニ)を持ち帰る自分たちを想像して、もーじっとしていられない。
 いつ行く?って今でしょ!

 二人で家までとって返して、電車賃握りしめて竹下口集合。もちろん魚とり網とバケツはしっかり持って山手線に乗り込み、さー目指せ田端。

 そしてやってきました田端。
 確かに駅のそばに国電車両の車庫がありました。車庫への引き込み線路の脇に溝が幾本もありました。溝には水も溜まっていました。
 でもどこまでも金網で囲われていました。。。

 ですよね。線路近くの電車の車庫に、外から悪ガキが入れる訳がない。
 これ、今も昔も常識。

 でもそんなこと、舞い上がった私たちはちっとも気づかなかったんですね。だから行きの電車の中は高揚感で二人はしゃいで、初めての田端も遠くは感じませんでした。

 逆に帰りの電車は背広の大人たちのなかで、汚い魚とり網とバケツを手にした悪ガキ二人は、みょーに浮いて、こどもながらに気まずかったこと覚えています。(マッカチンたくさん持ってたら、もっと浮いてたなぁ)

 原宿駅から竹下通りをとぼとぼ下って、家の前で、「じゃまたあした。」と別れるまで、お互い一言も口きかなかったような気がするなー。

 サイコーにおバカでセピアな思い出。 バゲ、覚えてた?